Casa VINITALIA
8 Maggio, 2008



Il Vento dell’Alto Adige .3
〈南チロルの風〉


 時は20004月、ミラノからブレッシアに向かう電車の中。
時間は夜の8時過ぎ、電車から見える町並はオレンジ色の街灯が
連なっているものの景色も雰囲気も暗く、山下少年は座席にも座らず
コンパートメント横の廊下でスーツケースにもたれていました。
以前に2回ほど行ったことのある場所だったのですが、
今回ほど心細く思ったのは小さい頃連れて行かされた
スイミングスクールの初日以来でした。

通常ミラノ–ブレッシア間は特急列車を使うと1時間弱で
到着するはずなのですが、何も知らず各駅停車に乗ってしまい
1時間経っても着かない不安な気持ちも相重なって、
電車の端で小さくなっていたことを思い出します。

 ようやく着いたブレッシアの駅前で早速目に留まったのは、
現地に住んでいるアジア人たちの口喧嘩模様。
明らかにイタリア人より外国人の方が行き交っている様子でした。
僕の不安に拍車をかけた光景だったことは言うまでもありません。
その場から逃れるために足早にタクシーに乗り込み、
お世話になるレストランへ向かいました。

その名もミラモンティ・ラルトロ。

当時そのレストランには日本人のコックさんが何人か
働いていると聞いていたのですが、着いてみると誰一人いなく
日本語も英語も通じないイタリア語のみの環境でした。
唯一英語を話すベルギー人のコックさんが荷物運びを手伝ってくれて、
「ここで寝ろと」言われたのは彼と同じ部屋で廊下側の小さなベットでした。
外国人とルームメイト、言葉のわからない環境、
当時の山下少年の心境は「期待<不安」でした。


「明日10時に来いと言われたけど・・・・」

逃げたくなる気持ちを抑えつつその日は横になりました。


翌日、10時に出勤するとイタリア人のコックさん達が
黙々と仕込みをしています。カメリエーレのおじさん上司ウンベルト氏に
指示を仰ぎ、荷物を更衣室に置かせてもらい、制服に着替えて、
レストランへ向かいました。そうすると、みんなが笑うのです。

「こんなに早く制服に着替えるもんじゃない」
そういうイタリア人達は私服のまま掃除やセッティングなどを行い、
ご飯を食べて営業が始まる前に制服に着替えるのです。
日本のホテルではウンベルトのような年輩のサービスマンが
ジーパンをはいて掃除をしたりグラスを磨いたりする光景など見ませんし、
想像もしなかった状況にはじめのカルチャーショックを覚えました。

このミラモンティ・ラルトロは、マウロ・ピッシーニ氏というオーナーと、
妹のダニエラが兄妹でホールサービスを担当して、
料理長はダニエラの旦那さんでフランス人のフィリップ・レヴィーユ氏が
腕を振るうブレッシア料理とフランス料理の融合した創作料理でもてなす、
当時ミシュラン1つ星のレストランです。
正直、ちょっと重たい料理ですが
食べてみて本当においしいお皿ばかりです。

このレストランの見所は、1200種類以上あるワインリストと
4台の大きなキャリーで運ばれてくるチーズのワゴンサービスです。
チーズがお好きな方は本当にたまらないチーズのセレクトぶりです。
それだけレストランのチーズサービスに対するこだわりがあったのだと思います。
実際、研修生の山下少年はそのチーズワゴンサービスを
1回しかやらせてもらえませんでした。


初日の営業、こんな日本人の若造が蝶ネクタイで黒服を着させてもらい
サービスさせてくれるなど誰が想像したでしょう。
通常日本で黒服を着たサービスマンは経験も知識もあり、
なによりお客様からの信頼があって初めて着ることのできる
あこがれの服と僕の中では解釈していました。

そんな状況でドキドキしながらお客さんのいるホールへ向かう心境は、
まるで演劇の舞台へ向かう役者と同じような感覚だと思います。
しかし、いざホールへ出てみると意外にそこまで緊張しなかったのです。
言われた作業、ここではお水、灰皿、パンサービス、
皿下げを全体的に見ろという指示を、
自分の持っている笑顔とともに積極的にこなすよう努めました。

「意外にこのような緊張した雰囲気で働くのは楽しいな」

舞台で演技を終えた脇役は袖に戻ると後片付けに専念します。
山下少年はパンの後片付けやサービス器具の整理整頓、
そして大量のワイングラスと格闘することになります。
今までのやり方とは違うグラスの拭き方を教わり、
1個1個時間をかけて丁寧に磨きました。
気がついたら1時間以上経っていたりもするんです。
でも、今でも覚えています。
初日の仕事終わりに上司のジーパンおじさんことウンベルトが、
大汗かいてグラスを磨いている僕に言った一言を。


「ブラボー、マッサ!」

「おつかれ、よくやったよ」と軽く言ったねぎらいの言葉とともに
ドルチェットの入った赤ワイングラスを渡してくれました。
当時の僕にとってみたら本当にうれしかった言葉で
疲れと緊張をほぐしてくれた赤ワインでした。

昨日までの不安は半分以上忘れ、
ようやくイタリア生活に期待がでてきた瞬間でもあり、
また自分もいずれ先輩になった時に仕事始めの後輩に
こんな一言をかけられる人間になろうと思った瞬間でもありました。



それからの山下少年は、ウンベルトがいうことを見よう見まねで理解して、
自分ができることを率先して行うように努めました。
毎日メモを取り、わからない言葉は辞書で調べ、
他のスタッフの邪魔にならないように自分の仕事に専念して、
そして帰るところは毎日グラス磨き場なのです。

そしてミラモンティ・ラルトロはそんな若造日本人にも
色々とチャンスを与えてくれたレストランでもありました。
一番の収穫はやはりサービスの技術面と細やかな気配り、
そして見せる技術だと思います。それらの内容は、
僕が今まで見たことのないような素敵な振る舞いでした。



持ち回りサービスからお客様の目の前で取り分けるワゴンサービス、
メニューをお見せしないで口頭でオーダーを取る技術や
レディーファーストの徹底化などなど。
また小さな気配りという面で、コースメニューをお召しになるお客様が
お皿数上御一人で御召しいただかなければいけない方にかける一言。

「お一人様のお食事で恐れ入ります」

そういうところまで気を配る感覚に当時の山下少年は心を打たれました。
やはりイタリア食文化はそれ程、みんなで食事を楽しむということに
重点を置いているのだなと実感したのです。

フランチェスコ・ファルコーネという先輩ソムリエとの出会いも衝撃的でした。
彼は僕よりも後に入社したのですが、グアルティエロ・マルケージという
有名レストランでサービスを勉強していたという経歴で
マウロ社長から引き抜かれた人材でした。
さすがに目を付けられたサービスマンだけあり、
サービスでの見せる技術は素晴らしいものでした。
水をつぐにしても、お皿を出すにしても見ているだけで、
ちょっとうっとりしてしまう見せようだったのです。

彼の料理、ワイン、チーズの知識はすぐにマウロ社長の目に留まり、
チーズワゴンのセッティングが彼のアイデアで見栄えよく変わったり、
ワイン熟成庫の整頓を任せられたり、
社長とダニエラの手が空いていない時に代わりにオーダーを取ったりと
彼の行動範囲がだんだんと広がっていきます。
山下少年にとって、それだけ彼の技術を吸収できるチャンスが増えていったのです。

そのチャンスが増えるほど、彼からしごかれる回数も増えていきました。
3040種類あるお皿のシルバーセッティングを間違えたり、
準備中に行うべき掃除が行き届いていなかったり、
時には生意気に口答えをしたりすると、その何千倍もの勢いで、
そしてイタリア人特有の罵声とともにこっぴどく干されます。
早くて何を言っているのかわからない語調ではあったものの、
そういう罵声のいい方も勉強します。

「こんな言い方があるんだ。イタリアはすごいな」

そんな中でも彼のサービスを僕は毎日研究していましたし、
彼もきっと僕の動きを観察していたのだと思います。
そしてそれらの研究の成果が実を結び始めたのか、
サービスがテーブル担当制になりオーダーテイク以外の
仕事を任せてもらえるようになりました。
ここではサービスマン本人の技量が明らかになります。
お客様への細かな気配りや、料理が出るタイミングで
お皿を置くためのワゴンのセッティング、
上司やソムリエとの連携も密に取らなければなりません。

そんな中、ちゃっかりものの山下少年は
通常社長やダニエラが行うワゴンサービスを進んで行い、
後で上司に呼び出され
「譲るところは譲れ」と叱られたこともありました。

しかしこのように、より一歩お客様へ近づいた接客を
行うことは責任も重大ではあるけれど、
それだけ帰ってくる喜びも大きいものになると感じました。

ある日、アジア人が担当なことにしばらくこわばっていたおじさんおばさんに、
どっから来たの?と尋ねられてお話をさせてもらい、
その中でイタリア語を教えて頂き、
帰り際に握手を求めてきて素敵な笑顔と共に
お店をあとにしていかれたことがありました。

「サービスマンがお客さんに育ててもらうとはこのことか」

幸運なことに入社して半年以上経った秋口に、
ミシュランガイドで2ツ星を獲得します。
そんな数少ない現場に立ち会うことができたことは、本当に幸運なことでした。
営業中に知らされた朗報に、まるで学園ドラマでも見ているかのように
はしゃぐイタリア人達を今でも覚えています。

ですがその日も通常通りお越し下さっているお客様に対して
サービスを変えるわけにはいきません。昨日までと同じ気持ちで、
それぞれのお客様にあった接し方で仕事を続けていく、ということを
2つ星に昇格してからも変わらないように努めました。
できていたかどうかはわかりませんが・・・・・。


「すごいやつはいつも一緒」

ミラノのサドレルで知り合ったコックさんに言われた言葉。
そんな出会いと共に
次回はミラモンティ・ラルトロでの休日の過ごし方と
次の職場ミラノのサドレルに行くまでの経過をお話しします。






〈今回登場したワイン〉
Dolcetto d'Alba 2006, L.Sandrone -Piemonte-
Dolcetto 100%

3100

数量:


「もし無人島に1本のワインを持っていくとすれば、ドルチェットを持っていくだろう」
ピエモンテ州の有名な醸造家の言葉です。

果実味豊かでフレッシュな味わい、
しかも幅広い料理やチーズに合わせやすいワインを作るこのブドウは、
ピエモンテ州を中心に北イタリアで栽培されています。

ところでこの名前、「ドルチェット」。
一見甘いワインかと思ってしまう名前ですね。
しかしながら決して甘口ワインではなく、収穫前のブドウ自体が
甘かったからという逸話からこの名前がついたと言います。

このブドウはピエモンテ州のモンフェッラート地区にある
丘陵地帯が発祥地であるという噂もあれば、
リグーリア州から北のピエモンテに伝わったという説もあります。
実際リグーリア州では、ピエモンテ州との境にある
オルメアという街の名前から付けられたオルメアスコ
という別名で栽培・醸造されていますが、
ピエモンテ産のものと比べると幾分質の違いがあるようです。

その他にもヴェッレ・ダオスタ州では単種またはキュヴェとして
栽培されており、ロンバルディア州、中部イタリア、
サルデニア島でも栽培されていたという情報も残っています。

このブドウ品種は平地で栽培されたものは、
より力強いアルコール度数のあるワインを作り、
逆に丘陵地帯で栽培されたものはデリケートな香りをもった
エレガントなワインになります。
後者でもあるピエモンテ州ではこのブドウを使って、
1つのDOCG、7つのDOCを産しています。
今回紹介するワインは、そのうちの一つ、
ルチアーノ・サンドローネ社のドルチェット・ディ・アルバです。

もともとバローロの生産者として有名なサンドローネ社は、
モダンバローロの先駆者として重要な存在とされています。
20年以上、大手ネゴシアンで働くうちに自分の好きなワインを作りたいと
1976年に畑を購入、1978年にワイナリーを設立。
当時、人々の関心が薄くなっていたバローロをどのようにして
良くしていくかということに最善を尽くしていました。
そんな彼にも運命的な出会いがあり、それをきっかけに新しい醸造や栽培に
力を入れ、更に最新鋭の設備を導入して今に至るわけです。

サンドローネ社のドルチェット種は、ワイナリーの所在地でもある
バローロ村の2つのワイン畑、その隣のノヴェッロ村、モンフォルテ・ダルバ村から
それぞれ栽培されたものを使用し、ステンレスタンクにて
アルコール発酵及びマロラティック発酵後瓶詰めされて出荷されます。
2種類のバローロを含めた他のワインはフランス産のオーク樽で
熟成させるのがですが、ドルチェットに関しては
ブドウ本来の香りや味わいを生かすために木樽熟成は使用しません。

色は非常に凝縮したルビー色で縁にはまだ紫色が残り、
香りはブラックベリーやプラムを連想させるような黒果実の香りが先行し、
よりグラスを近づけてみるとラズベリーやマルメロの甘いイメージ、
少しグラスを遠ざけるとイチゴのようなフレッシュな感覚があります。
味わいは口当たりの豊かな果実味やアルコールからくる
甘みを始めのインパクトとして感じられ、
それらを程よく締めてくれるタンニンやミネラルが
後味の余韻として残るのが特徴的です。

無人島に持っていくワインとして選んでもいいですが、
僕がウンベルトからもらった時のように
仕事終わりに一杯グイッと飲むために選んでもいいですよね。

疲れが取れて明日からまたがんばれます!



                                 Kallmuenz ソムリエ
                                                山下将士




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